スーパーのバナナチップスを見て、戦中・戦後、配給された干しバナナの思い出を語り出した母。

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日曜日、家からちょっと離れた
スーパーに母と買い物に行きました。

その売り場にあったのが、
ドライフルーツ、ナッツ、チョコ類の
量り売りのコーナー。

そこに何種類かのバナナチップスが
売られていました。

それらを見て母が突然、話し始めました。

「このバナナチップスは黄色くてつやつやして
美味しそうだけれど、昔、戦時中に配給で配られた
干しバナナは真っ黒で、見た目が悪くて……」。

干しバナナは文字通り、バナナの皮をむいて、
中の実を乾燥させたドライフルーツ。
今でも売っていますね。

その干しバナナ。
戦中また戦後に配給で配られていたんだそう。

戦時中は本来ならば米、小麦など主食の穀物を配るところが、
それらがないので、「代用食」ということで、
配給されていたようです。(1942年昭和17年)

本来ならば甘い物がない時代、
干しバナナは貴重な甘みなので、
大事にされたはずなのですが、
母にとっては余り美味しいものでは
なかったらしく、配給で家に持って帰ってくると、
がっかりしたんだとか。

戦争が終わって、進駐軍がいた時代。
進駐軍の放出品だかともかく配給があり、
やはり乾燥バナナ(干しバナナ)があったそう。

こちらは戦時中のものよりは、
美味しかったとか。

もしかしたら戦争が終わった解放感が、
より味を美味しくさせていたのかもしれません。

戦時中の乾燥バナナで思い出したのは、
女優の余貴美子さん。

現在、終わってしまいましたが、
有名人のルーツを本人にかわって調べて発表する
「ファミリーヒストリー」(NHK総合)。

余さんはそのナレーターを務めていらっしゃいました。
と同時に余さんのルーツを紹介した回がありました。

余さんの祖父は台湾から日本にやってきましたの方。
神戸で事業をおこし、貿易商として仕事をするのですが
うまくいかず倒産。

その失敗にもめげず、太平洋戦争勃発時に
新たに始めたのが、
保存の効く干しバナナの輸入販売。
これで大成功したと言います。

母の実家に来ていた干しバナナも
台湾バナナなのかもしれません。
しかし古くて質の悪いものだったので、
母にとっては美味しくなかったのでしょうか。

母にとって、平和な時代になった、
豊かな時代になったと心底、実感したのは、
乾燥バナナではなく、生の台湾バナナが、
無理をしなくても食べられるようになってから。

昭和30年代のはじめ、戦争が終わって
10年以上もたったころだったとか。

美味しいプレミアムバナナ、さらに、
乾燥バナナでも味のよいものが食べられる今は、
本当に豊かで平和な時代ということなのかもしれませんね。

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プロフィール
この記事を書いた人
niki

35年以上にわたり、TV、ラジオ、
イベント制作に携わる。30年余
り、放送関係の専門学校講師を
勤め、企画書、台本の書き方を
教える。10年余りホテルの食に
関するHPの制作、コンサルタ
ントも、行う。新聞は小学4年生
から読み始め、多い時には13紙
を愛読。
ブログ「トクダス」
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