平尾昌晃さん、亡くなる。後楽園でお金を使い果たした平尾少年、江ノ島の自宅に帰れるか? サナトリウムでの体験。

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歌手そして作曲家として大活躍した
平尾昌晃さんが、2017年7月21日の夜、
肺炎のため亡くなりました。

79歳でした。

平尾さんに何度かお会いして
お話しを伺ったことがあります。

歌謡界ではとてもえらい先生で、
業界では重鎮。大御所として遇されて
いらっしゃったそうですが、
そんなことはみじんも感じさせない、
とても気さくで、こちらの飲み物の減り具合や
お菓子にまで目が届く、細かな神経の持ち主でした。

いろいろと語っていただいた中で
印象深いのは、小学校4年生の時に、
巨人軍の試合がみたくて、
片瀬江ノ島のご自宅から、
電車を乗り継いで、
ひとりで後楽園球場に
行ったときの話です。

ラジオで聞いていて大好きになった野球。
中でも巨人軍の試合をどうしても見たくなった
平尾少年は、お母さんに頼んだところ、
お小遣いをくれたのだとか。

江ノ電に乗り、藤沢駅からは東海道線。
さらに東京駅からは中央・総武線と
乗り継いで水道橋駅に到着。

無事に試合を見られたものの、
夏の暑い時期、のどがかわく。

売っていたアイスキャンディーが
とてもおいしくて、何本も何本も
食べてしまったのだとか。

気づいたら、帰りの電車賃がない。

どうやって帰ろうか途方に暮れました。
警察に行ったり、誰かに声をかけて事情を説明し……
という知恵が働かない小学校4年生。

困っていたら、身なりのいいおじさんが、
「坊や、なにやってんだ」
と声をかけてくれたのです。

地獄に仏とは大げさですが、
平尾少年が藤沢まで帰る
電車賃がないことを
正直に打ち明けた所、
「これを持っていきな」
とぽんとお金をくれたのだとか。

そうしてやっと藤沢駅までたどりつき、
そこからは、江ノ電に沿って家まで歩き、
帰宅した時には夜中だったといいます。

それをまるで昨日のことのように、
また聞いている者の頭の中に
映像が浮かぶように話されるのでした。

なので、平尾さんの話を聞いだけなのに、
まるで1本の映画でも見たように、
頭の中に映像が流れています。

報知新聞、2017年3月11日。
(1回目から最終回の25回目まで読むことが可能です)
《【平尾昌晃・生涯青春】(25)「紅白」「レコ大」には出演してほしい》
http://www.hochi.co.jp/entertainment/feature/TO001620

肺結核になり、サナトリウムで療養。
その時に病院や地元の人たちから受けた
人情が自分を大きく変え、それがチャリティー活動を
ずっと行なってきたきっかけであるという話も
心にしみました。

数々の名曲。
そして素晴しい話をありがとうございました。

ご冥福をお祈りいたします。

プロフィール
この記事を書いた人
niki

35年以上にわたり、TV、ラジオ、
イベント制作に携わる。30年余
り、放送関係の専門学校講師を
勤め、企画書、台本の書き方を
教える。10年余りホテルの食に
関するHPの制作、コンサルタ
ントも、行う。新聞は小学4年生
から読み始め、多い時には13紙
を愛読。
ブログ「トクダス」
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