1月5日、読売新聞の朝刊のページを
めくっていると美しいカラーの
見開き広告が現れました。
驚きました。
イギリスの画家ジョン・エヴァレット・ミレイの
名画「オフィーリア」の実写版かと思われる写真が
大きく掲載されていたからです。
森の中の小川に浮かんでいた女性は女優の樹木希林さん。
(ほかに朝日新聞、毎日新聞にも掲載されていました)
右側のページの上の方にキャッチコピーが。
「死ぬときぐらい好きにさせてよ」。
その下には小さく以下のような文章が続いています。
《人は必ず死ぬというのに。
長生きを叶える技術ばかりが進歩して
なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。
死を疎むことなく、死を焦ることもなく。
ひとつひとつの欲を手放して、
身じまいをしていきたいと思うのです。
人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい。
それが、私の最後の欲なのです。》
過激な、物議を醸す広告を定期的に
出している出版社の宝島社のそれです。
《2016》
http://tkj.jp/company/ad/2016/
樹木希林さんは、全身をがんに冒されていると
公表されており、「いつ死んでも悔いはない」
「死は特別なものではない」など
と独自の死生観をインタビューなどで
お答えになっています。
今回の広告は、まさにそうした樹木さんの死生観に
沿ったものになっているようです。
宝島社のサイトには、
《広告意図》が記されています。
《日本の平均寿命は年々更新され、今や世界一。
いかに長く生きるかばかりに注目し、
いかに死ぬかという視点が抜け落ちているように思います。
いかに死ぬかは、いかに生きるかと同じであり、
それゆえ、個人の考え方、死生観がもっと尊重されてもいいのではないか、
という視点から、問いかけています。》
続いて、樹木さんの言葉が記されています。
《「死というのは悪いことではない。それは当たり前にやってくるもので、
自分が生きたいように死んでいきたい。最後は、もろとも宇宙の塵になりて。
そんな気持ちでいるんです。」》
死を考えることは、どう生きるかを考えることでもある、
多くの人がそうしたことを考えるきっかけにというのが、
この広告の意図なんですね。
この広告を読んだ時、
「メメント・モリ」(memento mori)」
という言葉を思い出しました。
これは、「死を忘れるな」。
すなわち、今、生きているが、
人はいつかは必ず死ぬ存在である。
そのことを忘れるなという警句です。
「よく死ぬことはよく生きること」
そんなフレーズも思い出しました。
この広告がビジュアル面でモチーフにした
絵画「オフィーリア」は、有名な
シェークスピアの悲劇「ハムレット」の
登場人物の一人であるオフィーリアが
精神的に追い詰められ溺死する場面を描いたものです。
(第4幕7章の一場面)
死を描いた場面なので当たり前かもしれませんが、
この絵画は、まさに「メメントモリ」を
具象化しているといえそうです。
「メメントモリ」を表現する絵画では、
そのものずばり、骸骨が描かれるものがありますが、
草花もよく使われました。
この絵画の中に登場している草花にも、
死を含む象徴的な意味が含まれています。
《ヤナギは見捨てられた愛、イラクサは苦悩、ヒナギクは無垢、
パンジーは愛の虚しさ、首飾りのスミレは誠実・純潔・夭折、
ケシの花は死を意味している》
《 オフィーリア (Ophelia) 1851-52年》
http://www.salvastyle.com/menu_pre_raphael/millais_ophelia.html
1月5日、まだ松の内に出された
死を考えて欲しいとの宝島社の広告。
一休宗純師の作とされる、
「正月は(元日や)冥途の旅の一里塚
めでたくもありめでたくもなし」。
正月から死を考えることは、
充実したよい1年を送るために
必要なことと言えそうです。
コメント
この広告を契機にした樹木希林さんへのインタビューが掲載されています。《死にゆく姿、みっともなくても見せる 宝島社の広告で話題、樹木希林さんの死生観 毎日新聞2016年2月3日 東京夕刊》
http://mainichi.jp/articles/20160203/dde/012/040/011000c