聖路加国際病院の帰りに、
出入り口近くの売店の外で、
草餅を販売していました。
築地市場内に本店がある
創業明治三十一年の老舗・茂助団子のもの。
http://www.fukumo.jp/
小さ目で丸い草餅は、
渋めのよもぎ色。
帰宅後、お茶とともに久しぶりにいただきました。
蓬の香り、餅の柔らかさ、そして中の粒あんの
甘すぎない上品な甘み。
昔なら、5つ6つ食べたことでしょう。
一気に春が来た感じがしました。
草餅を見たり、食べたりすると思い出す話があります。
以前にも別のところで書いたことがあるのですが、
近所にいた餅名人の草餅についてです。
昔は、わが家でも春になると蓬をつんで、
自分の家で草餅などを作っていました。
けれどいつ頃からか、近所のその餅名人が
作る草餅、桜餅などが非常の美味しいため、
そこから買うようになったのです。
餅名人のところは、基本的に
個人や業者の注文を受けて、
作るため、販売するための
売り場があるわけではありません。
店構え。
看板はなく表向きは一般の家と
変わりません。
奥に工房だけがあるんですね。
そこで、餅名人と奥さんの二人で、
ほとんど手作りで注文された品を
その日に作っておさめるのです。
そこの草餅は、丸くて扁平で、
大きさは大人の男性の手のひらほどあります。
見た目は素朴な田舎風。
生の蓬だけを使い、蒸し(ゆで?)た後、
すり鉢ですりつぶし、餅米の中に混ぜ込んで、
蒸し上げます。
それから餅にします。
色はくっきり鮮やかではなく、
ぼんやりと柔らかい草色。
けれど餅の柔らかさ、
含まれた蓬の香りはすばらしく、
食べる前、餅に顔を少し近づけただけで、
はっきりとそれがわかるほど。
中は、大きめの小豆を使った粒あん。
洗練された今時のそれと違い、
甘みをずっしりと感じます。
けれど小豆の豊かな香りを感じさせ、
あとをひき、次から次へと口の中に
入れたくなる味なんです。
忘れていました。
外には香ばしいきな粉が
ふんわりとたっぷりかかっています。
そのきな粉も、指についたのを
残さずなめたいくらいなんです。
(実際、なめていましたが……)
ずいぶん昔、自分が小学生時分の春の法事の時に、
餅名人の草餅、ぼた餅などが、大きな
「もろぶた」(箱)一杯に入って
台所に置かれていました。
それを、見つけた時は、驚喜しました。
そのまま誰にも渡さず、
全部を食べてしまおうと思ったほど。
ついつい思い出話が長くなってしまいました。
その餅名人が手本とした
日本一の草餅があったのです。
どこのお店の草餅だと思われますか?
有名なお店のそれ?
修行したお店の師匠のそれでしょうか?
違っていました。
餅名人にとって日本一の草餅とは、
餅名人が小さい時に母親が
作ってくれた草餅だったんです。
餅名人の家は、普段、お菓子を買うのはもとより、
作ったりということもほとんどなかったそう。
1年のうち、春と秋、また地元のお祭といった
限られたハレの時にしか、甘いものは
作れなかったとのこと。
春になって、蓬の新芽が土手や野原に生えてくる。
それをお母さんは、丁寧に手で一つ一つ摘んで、
家に帰り、洗ってゆでて、当たり鉢であたり、
餅米に混ぜ込み、蒸籠でむしあげ、臼にいれ、
杵でついていく。
その一つ一つを、小さかった餅名人は、
手伝いながら眺めていたのです。
やがて完成し、お重に入った草餅。
子どもにとってそれは、単なる食べ物ではなく、
それ以上のものでした。
光り輝く草餅を、
家族そろって食べる時の嬉しさ。
ほおばって口に入ります。
すぐに食べてはもったいないと
ゆっくり口の中にとどめようとしますが、
手はどんどん中に餅を押し込む。
舌ものども次から次へ、それを奥に送る。
あっという間に、平らげ、
気付くと、重箱の中は空っぽに。
その味は、他に比較しようがありません。
そんな草餅を作りたいと、
和菓子店・餅店に修行に出たと言います。
この話を聞いた時、そして思い出す度に、
心がほわっと温かくなります。
これからも草餅を見るたび、食べる度に
そうなるに違いありません。
そんなことを感じさせてくれる草餅は
それ以外にはありません。
一度も食べたことはありませんが、
自分にとっても、日本一の草餅は、
餅名人のお母さんの草餅です。
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