長時間、パソコンの前座っているせいか、
目が疲れ、背中、肩が張っています。
ストレッチ、体操を行って、
少し凝りがほぐれるのですが、
完全にとれたという訳にはいきません。
そこでここ数日、銭湯に通っています。
先日は、一般的なサラリーマンの方々が
働いている午後4時頃に入浴しました。
贅沢なことです。
風呂から出て、涼んでいると脱衣所で
近所の常連らしき年配の2人が自動販売機で
買ったペットボトルのお茶を飲みながら、
話していました。
「家にも風呂があるけれど、広い風呂はやっぱりいいねー」
「それも昼に入る風呂は最高だ」
「働いている頃は、仕事の後の風呂、さらに
その後の一杯が、一日の最高の贅沢だった」
「働がずに飲む酒は美味しくないねー。今、
最高の贅沢は、昼風呂とその後のこのお茶だねー」
「そう、それも可愛いお姉ちゃんじゃなく、
あんたと飲むのが一番」
「まあ、言ってくれるねー」
年金暮らしで時間に余裕が出来ると、
働いていた時には余り気づかなかったことに
目が行き、またそうした所に楽しみがある
なんて話をされていました。
の日常のささいな所に喜び、
楽しみ、贅沢を見出す。
それが出来る人は幸せな人であり人生だ。
このお二人の会話を聞きながら、
作家・池波正太郎さんの母の話を
思い出しました。
池波さんのお母さんは、離婚をし、
女手一つで池波さんそして兄弟を育て上げました。
今より一人親そして女性が
働くことに偏見があった時代、
それは大変だったようです。
この本の中で、「母の好物」と題し、
お母さんの大好物である寿司について
書いています。
《「あのころ、私はつとめが終ると、
御徒町の蛇の目寿司へ、よく行ったもんだよ」
「ひとりで?」
「そりゃ、ひとりでさ」
「おれは一度も、つれて行ってもらわなかった」
「だれもつれてなんか行かない。
それだけのお金がなかったからね。
私ひとりで好きなものを食べていたんだ」
「ひどいじゃないか」
「女ひとりで一家を背負っていたんだ。
たまに、好きなおすしでも食べなくちゃあ、
はたらけるもんじゃないよ。そのころの私は、
蛇の目でおすしをつまむのが、
ただひとつのたのしみだったんだからね」》
この後、池波さんは以下のように続けています。
《先ず、こうしたわけで、大好物のすし一皿を
食べることによって、女ひとりが老母をと子どもたち
を抱えて立ちはたらくエネルギーも生まれてくる、
ということになる。
それほどに、「食べる」ということは、
たいせつなものなのである。》
お母さんにとって寿司は、
つらい毎日の中の活力だったんですね。
疲れを吹き飛ばし、元気を回復させてくれる寿司。
それは、食べ物という以上のものだったのかもしれません。
苦しい日々の中でもそうした楽しみを
見つけ出すことができれば、
少しは心身への負担を減らしてくれる。
難局を乗り切れるかどうかは、日々の頑張りに加え、
つらさをやわらげてくれる楽しみ・贅沢を見つけること
ではないかと思わされました。
日常の中に小さな贅沢を見つけること。
それは思った以上に大切な能力なのかもしれません。
コメント