熊本県玉名市に住む106歳の高木波恵さが、
台湾の学校が甲子園に出場し準優勝したとの映画「KANO」を、
見たことをきっかけに、かつての台湾の小学校での教え子に消息を
尋ねる手紙を書いたとの話題をお伝えしました。
住所が変わっていたので、宛先不明で局に留まっていたのですけれど、
郵便局員の人が、懸命に探して、ついに届けたという内容でした。
その続報が、東京新聞の2015年5月19日朝刊に出ています。
現地の新聞などで恩師が健在なことを知った
90歳前後になった教え子たちから、
高木さんのもとに、続々と手紙が30通ほど届きました。
さらにその手紙がきっかけで、何人かの教え子とは、
台湾語、日本語を交え、電話で話したそう。
郵便局員の努力のおかげで、こうした交流が復活したのですね。
この高木さんと台湾の教え子の方々との深い関係は、
何も特別なものではなく、年配の方に伺うと、一般的だったようです。
戦前は、先生は生徒から尊敬されていて、先生と生徒の関係は強く、
卒業してからも、おつきあいが続いていることが多いんだそう。
戦争、大地震など、長い人生の間には、
そうした交流を途絶えさせるような出来事が
数多く起こっていますが、思いがあれば、
復活されることもあるんですね。
それとこの場合は、音声である高木さんが、106歳と
長寿でお元気でいらしたことも大きいのでしょうね。
今や途絶えてしまっている、特にお世話になった
小学校の恩師の顔が頭に浮かびました。
お元気かなー。
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