2017年5月。
まもなく5月5日、端午の節句ですね。
もう柏餅は召しあがりましたか。
柏餅に関して、2年ほど前に、
祖母から教わった由来について
記しています。
新芽が出てから落ちる柏の葉。
代々続く子孫繁栄ということから、
江戸時代に端午の節句の行事食となったようです。
その時には記さなかったことがあります。
父母、祖母から言われた、
わが家独自の柏餅の教えです。
といっても大したものではありません。
あなたは、柏餅、大きく分けて
二つあることをご存じですか?
そう餅の中の餡(あん)です。
小豆あんと味噌餡の二種類。
自分の家で作る時はもっぱら
小豆あん(粒あん)でした。
(餡を近所の餡子屋さんから買う時は晒し餡)
しかし近所の餅屋さんに頼むときは、
上の二つを頼んでいました。
あるとき、おそらく自分は小学生にあがるか、
あがらないかの時だったと思います。
2種類の柏餅が一杯入った「もろぶた」を前に、
両親から尋ねられました。
「小豆あんと味噌餡があるけど、
どれがどれだかわかる?」
自分はその区別がわからなかったのですが、
適当に「こっちが小豆あんであっちが味噌餡」
とこたえました。
「おー」と感心したような声が両親から
あがりました。
当てずっぽうながら、その答えは
当たっていたのでした。
「なんでわかったの?」
と母が再び尋ねます。
「なんとなく……。勘で……」
ともごもご答えると、
「やっぱり」というような二人のがっかりした顔。
それから種明かしをするように、
父親が教えてくれたことが、
わが家の柏餅の教えです。
餅の中にどの餡が入っているか、
その見分け方がある。
柏の葉の裏表です。
小豆あんは、柏の葉を表に出して。
味噌あんは柏の葉を裏にして。
表と裏は、どう見分けるかというと、
葉脈が出ていない方が表、出ている方が裏です。
その違いを知識として知るのではなく、
自分で気づくことが大切。
何がいいたいかというと、
餡の中身に違いがある。
その区別をつけないと商売上、困る。
区別をつけるためには何か工夫がいる。
その工夫に思いが至るか。
商売にしろ、人間関係にしろ、
細かい違いに気づくことがとても大切。
人として秀でているかどうかは、
違いに気づくかどうか。
気づける人は「さとい」。
気づけない人は、「にぶい」と。
小さいころから、自分はこうした所には無頓着。
祖母からも「にぶい、鈍(どん)な」と
言われていました。
親戚の中で、商売に大成功したおじさんは、
伝説がいくつもあるのですが、
小さい時に見事、この柏餅の違いに気づき、
親に向かって、正解を答えたそう。
小学校に上がる前に、暗算で商売品の
勘定を出来たというのですから、
よほど「さとかった」のですが……。
大きくなっても、なかなか違いのわかる男には
なれませんでしたが、違いをわかろうとする
努力はするようになりました。
明日は、近所の和菓子屋で柏餅を買い、
じっくりと違いについて考えることにしましょうか。
〇江戸期の様々な出来事、社会風俗について
記した書物「守貞漫稿」。
その著者である喜田川守貞は、
柏餅についても書いています。
《菓子資料室 虎屋文庫》、《歴史上の人物と和菓子》、
《喜田川守貞と柏餅》
https://www.toraya-group.co.jp/toraya/bunko/historical-personage/111/
《江戸には味噌餡(砂糖入味噌)もあり、
小豆餡は葉の表、味噌餡は葉の裏を出した由。》
具体的には、次のような記述だったようです。
《小豆餡には柏葉を表に出し。
みそ噌には裡(うら)を出して標とす》。
〇「柏」は二つあります。
柏(はく)=ヒノキ・サワラ・コノテガシワなどの常緑樹。
松柏(しょうはく)との言葉がありますが、これは、
松と柏どちらも常緑樹であることを示し、操を守って
変えないことをたとえていう表現です。
論語に「歳寒 然後知松柏之後彫也」とあります。
《歳寒くして、然る後に松柏の彫むに後るるを知る》
《Web漢文大系》《論語 子罕第九 27
09-27 子曰。歳寒。然後知松柏之後彫也。》
https://kanbun.info/keibu/rongo0927.html
冬も枯れず、葉を落とさない、すなわち
節を曲げないと称える表現です。
「歳寒松柏」(さいかんしょうはく)
「松柏の操」などの表現もあります。
「松柏」は「まつかえの」と読み、
「栄え」にかかる枕詞でもあります。
コノテ(児の手)ガシワは、枝が子供の掌を立てたように
広がるところからこのように呼ばれています。
この木の葉は、同じ常緑樹の檜(ひのき)が、
裏と表がはっきり分かるのに対し、
表裏の区別がつきにくく、上手く見極められません。
そこから「児の手柏の二面(ふたおもて)」との表現があり、
物事をどちらとも決められないことの例えに使われます。
万葉集では、
《奈良山の このてがしはの二面に
かにもかくにも侫人のとも》
との歌が収められています。
ここでは、《誰彼かまわずへつらう》
(言葉や心の表裏を、両方に使い分けること)
という意味で使われています。
《万葉の花とみどり》《このてがしわ》
http://manyo.org/konote.htm
一方で「心に裏表のない」と良い意味で
使われることもあるようです。
コトバンク コノテガシワ
https://kotobank.jp/word/%E3%82%B3%E3%83%8E%E3%83%86%E3%82%AC%E3%82%B7%E3%83%AF-65739
《児の手柏の二面》
https://kotobank.jp/word/%E5%85%90%E3%81%AE%E6%89%8B%E6%9F%8F%E3%81%AE%E4%BA%8C%E9%9D%A2-503580
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