この6月末から7月ころは、
電気炊飯器の新製品が発売される時期なんだそう。
梅雨の時期で、新米にはまだ早い時期なのに
と思いますが、早場米が出回る前に新製品を発売する
というのが業界の慣行なんだとか。
2015年6月18日の「よみうり寸評」。
《炊飯器で炊いたご飯は、じつは表面の部分が
抜群においしい。と、ある料理研究家の本にあった。》
さらに続けて、
《表面をすくい取ってみると、これが本当だった。
甘みがずっと深い。しゃもじで混ぜるのはおいしさを
均等にするため、とも書いてある。》
これで思い出したのは、昔の話。
家を建て直す前、わが家は、
おくどさんといわれる「窯」で、
薪を使い羽釜でご飯を炊いていました。
重い木のフタを空けたときの、
ご飯のぴかぴかしたつや、
香り、湯気は今でも忘れられません。
この羽釜で炊いたご飯の一番美味しいのは、
表面、それも羽釜の中心部分です。
蟹の穴と呼ばれる美味しく炊けた印を、
くずし、全体を混ぜる前にすることがあります。
それは、その一番美味しい部分をしゃもじでとり、
金属で出来た小さな容器(仏飯器)に盛ります。
そう仏壇のご先祖様のお供えするご飯。
それは羽釜の中で一番美味しいところを
すくって、もるのですね。
祖母は、
「天皇陛下は、大きな羽釜で炊いたご飯の、
表面の真ん中のご飯しか食べない」
なんて話していました。
天皇陛下はともかくも、ご飯が炊けたら、
一番よい部分は、当主でもなく、ご先祖様に
お供えするというのが、わが家だけでなく、
一般的な習慣でした。
今、目の前にいる人がすべてではない。
今、いる自分たちがいるのは、今は
目の前に見えないご先祖様があってこそ
という感謝の気持ちがあったのだと思います。
効率、合理性が追求されるようになり、
こうした心の余裕がなくなってきたようにも思えます。
一番おいしい部分は、自分たちのためではなく、
目に見えぬ人のためにある。
こうした精神を今、一度思い出すべきなのかもしれないな
と思ったことでした。
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