落語「八五郎坊主」そして、
釈迦の弟子の一人周利槃特(しゅりはんどく)。
ご存じでしょうか?
この話題が2016年2月23日の編集手帳に
取り上げられていました。
《出家した八五郎は物覚えが悪く、いただいた「法(ほう)春(しゅん)」
という名前を覚えられない。心配は要らないと、和尚さんが釈迦の弟子
槃特(はんどく)の話をして聞かせた。落語の『八五郎坊主』である》。
◆槃特は覚えられない自分の名前を板切れに書いて背負って歩く、
立派に悟りを開いた。のちに逝去して、墓前に見知らぬ草が生える。
「草かんむりに名を荷(にな)う、と書いて茗荷(みょうが)じゃ」》
以前にも別のブログで書いたのですけれど、
祖母・母からこの周利槃特(しゅりはんどく)の話は、
折に触れ何度も何度も聞かされました。
周利槃特には、やはり釈迦の弟子で
摩迦槃特という聡明な双子の兄がいました。
兄に誘われて、釈迦の弟子の一人となった周利槃特ですが、
兄と違い愚鈍で、自分の名前も書けないどころか、
名を呼ばれてもすぐにはわからず、周囲の人に言われて
ようやく自分のことだとわかる始末。
釈迦の教えも少しも理解できなかったものの、
悟りを求める心は強く、教えを聞いているだけで
幸せだったそう。
けれど弟子として3年(数ヶ月とも)も修行するのに、
釈迦の教えはもちろん、兄が教えた、
一つの文(一偈いちげ)を理解し暗唱するどころか、
(「守口摂意莫犯 如是行者得度世=体、口、心に悪行を作っては
ならない。正しい思いを持ち、無益な苦しみから離れよ」
修行の作法さえも覚えることができなかったのです。
兄は還俗(げんぞく、教団を去り一般人に戻ること)を
命じたのでした。
嘆き悲しんで祇園精舎の門外で泣く槃特。
そこに通りかかった
お釈迦様は、理由をきき、
「自分の愚を知る者こそ、真の知恵者である」
との言葉をかけ、槃特は再び師の元で留まることになったのでした。
釈迦が周利槃特のために与えたのは、
1本の箒(ほうき)とちり取り、
そして「(われ)塵を払わん、(われ)垢を流さん」
という言葉でした。(一枚の白い布とも)
この言葉を唱え、箒で精舎を
掃除することを命じたのです。
(修行僧の履き物とも)
くる日もくる日も掃除をし続けた
槃特は師に尋ねます。
「きれいになったでしょうか?」
けれど師は「駄目」と答えます。
どんなにきれいにしても師は駄目と言い続けたのでしたが、
槃特はそれにめげることなく、黙々と掃除を続けたのでした。
そんなある日のこと、せっかく彼がきれいにした場所を、
子どもたちが汚してしまったのです。
彼は箒を振り上げ、「どうして汚すんだ」と、
子どもたちに怒ったのです。
その瞬間、槃特は、
真に汚れている場所、そして掃除の意味、
すなわち師の言葉の意味が分かったのでした。
精舎の掃除。
それはまた心の掃除でもあったのです。
心の塵、汚れはなかなか落ちにくい。
きれいにしたと思っても、煩悩で汚れてくる。
精舎と同様、心もまた常に汚れ、
その汚れは日々掃除しなければ落ちない。
真に払い除くべきは、心の中の塵であり垢。
それを槃特は悟り、阿羅漢果(あらかんか)を得たのでした。
(仏弟子が修行の結果到達する最高位のこと、悟り)
ここまで読んで、あなたは、
赤塚不二夫さんの「天才バカボン」(「おそ松くん」などにも出てくる)
という漫画の中の一人のキャラクターを思い出さないでしょうか。
この漫画のタイトルそのものが仏教用語ですけれど、
(バカボン=「薄伽梵(バギャボン)」。サンスクリット語の
“Bhagavad(ヴァガバッド)”を漢訳に際し音写。
「覚れる者」という意味であり“Buddha(ブッダ)”と同義語)
その中に出てくる箒をもって道を掃いて、通行人に、
「おでかけですか? レレレのレー」
と声をかけている「レレレのおじさん」です。
赤塚さんご本人が語ったり、
公式サイトには書かれていませんが、
この「レレレのおじさん」は、
周利槃特がモデルとも言われています。
小さい頃には、祖母などに言われた周利槃特が、
「レレレのおじさん」とはもちろん気付きませんでしたが、
すごくこのキャラクターは印象に残っていました。
祖母や母は、この周利槃特の話をなぜしたのか?
大きくなって少しずつその意味がわかってきました。
一つのことをまさに愚直なまでに貫く姿勢と行動。
それが欠けていると二人は思ったのではないか。
生涯、心の塵と垢を払い、除かないといけない
と思い返しました。
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