「咢堂が雄弁は真珠玉を盤上に転じ、木堂が演説は霜夜に松籟を聞く」とは?

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2015年4月28日、読売新聞の編集手帳。

同紙に掲載された小学4年生の
「右側が見えづらい私の弟」との詩を紹介し、
東京都北区区議選で当選した「筆談ホステス」
斉藤里恵さんが現在の公選法では、区議選で
選挙用ビラを配れず思いを伝えることに苦労した
として、今の選挙制度は障害を持つ人の不自由に
応える制度になっていない旨、述べています。

その後に、次の評言を掲げています。

《咢堂が雄弁は真珠玉を盤上に転じ、
木堂が演説は霜夜に松籟を聴く》。

咢堂(がくどう)とは、憲政の神様と言われた
尾崎行雄の号。
また木堂(もくどう)は、後に総理大臣となり、
五・一五事件で暗殺された犬養毅の号です。

ともに議会の子として活躍、その演説の巧みさに
定評がありました。

上は、両者の演説の違いを、東京朝日新聞の記者
中野正剛が評したものです。

真珠玉は、文字通り、真珠の珠のこと。
盤上(ばんじょう)で碁盤や将棋盤などの上のこと。
霜夜(そうや)は、空が晴れて霜の降りる寒い夜のこと。
松籟(しょうらい)は、松の梢(こずえ)に吹く風やその音のことです。

なお松籟は、松韻、松濤、松風とも。
さらに、茶の湯の世界では、茶釜の湯が煮えたぎる音を
指してこのように言います。
(湯の相について千利休は、「蚯音(きゅうおん)」「蟹眼(かいがん)」
「連珠(れんじゅ)」「魚目(ぎょもく)」「松風(しょうふう)」
と五つを示し、「松風」をよしとしたとされています。
また茶道の世界では、三音という言葉があります。
これは釜の蓋をずらす音、茶筅通しの音、茶碗に茶杓をあてる音以外に
音を立てないのを理想とするというもの。なお音については異説もあります)。

すなわち、尾崎咢堂の演説は、真珠のころがる涼やかな音色のよう。
犬養毅のそれは、松の梢に吹く風の音のようということになります。

編集手帳は最後に、《前進から絞り出したその人の声よりも
胸に迫る真珠玉や松籟があるとは思わない》と締めています。

たまに見る国会中継。
人を動かし、説得しようとする言論、演説が
今の国会にあるのか、本当に寂しくなります。

国会議員は国民=有権者の鏡。
国会に見事な演説はないということは、
有権者、メディアにも、言葉・言論で
人を動かすことはない
ということなのかもしれません。

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