元横綱・千代の富士関、九重親方が、
膵臓がんで、2016年7月31日亡くなられました。
61歳でした。
去年11月、北の湖前理事長が62歳で
亡くなった時にも感じたのですが、
昭和という時代が、どんどん遠くに
過ぎ去っていったような感覚に襲われました。
千代の富士関が現役の頃は、
まだ自分もよく大相撲を見ていた頃で、
節目節目の取組はすべて覚えています。
昭和56年の初場所、
北の湖関との優勝決定戦。
それに勝って初優勝。
場所後、大関に昇進しました。
昭和63年、九州場所の千秋楽で、
横綱・大乃国関に敗れ、53連勝で連勝ストップ。
さらに平成元年の名古屋場所での、
史上初の同部屋の横綱・北勝海関との
優勝決定戦を制しての優勝。
優勝後のお祝いで三女が
場所直前に亡くなっていたことを知りました。
また引退を決めた、平成3年夏場所での、
貴花田(現・貴乃花親方)との一番。
ご自身は、昭和55年11月場所で、
貴花田関の父親である貴ノ花関を破りました。
この時の相撲で貴ノ花関は、
引退を決意したと言われています。
父親を引退に追い込んだ自分が、
その息子に引退を決意させられる。
そんな因縁、ドラマを感じさせたものです。
会見の時の「体力の限界」と
絞り出したように出た言葉は、
今でも強く印象に残っています。
決して大きな体でなく、また肩の脱臼癖もありました。
そうした弱点を、厳しい稽古に加え、
1日500回以上の腕立て伏せ、腹筋などで鍛え上げ克服。
それまでの相撲のあり方を、千代の富士関が変えた
と行っても過言ではありません。
左前みつを取って、一気に前へ出て
押し切る相撲、強烈な上手投げ。
全盛期のスピード、力強さは、
見ている誰をも魅了し、うならせるものがありました。
31回優勝を重ねていますが、
30歳を超えてのそれが、19回というのも、
努力を重ねた千代の富士関らしい
見事な数字だと思います。
現役時代の活躍に加え、指導者となって、
大関・千代大海など多くの弟子を育てました。
その指導者としての資質も素晴しいものがありました。
わが家から自転車で10分ほどの距離にある九重部屋。
国技館はじめ、部屋の周囲でお見かけしたこともあります。
その時も「ウルフ」という愛称のまま、
精悍な顔つきと体で、お元気そうだったのに。
信じられぬ思いで一杯です。
ご冥福をお祈りします。
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