リオ五輪の男子シングルス準々決勝。
しびれましたね。
世界ランキング7位の錦織圭、
同じく11位のガエル・モンフィス。
第1セットは12ゲームまで二人とも
サービスゲームをキープしタイプレークに。
タイブレークを7-4で制しで
第1セット7-6で取りました。
第2セットは、錦織が第1ゲームをブレークしたものの、
第2ゲームはブレークバックされます。
第10ゲームをモンフィスに奪われ4-6でセットを取られます。
1セットオールで迎えた、最終第3セット。
第12ゲームまでともにキープを続け6-6となり、
またもやタイブレークに。
相手のサービスエースで3ー6と。
マッチポイントに追い込まれます。
そこから粘って5ー6に。
モンフィスのサーブ。
後からインタビューでモンフィスが語っていましたが、
セカンドサービスでは、錦織選手にすごいリターンを
返される恐れがあるので、
彼はこのセカンドサービスを強めに狙ったのです。
しかしそこが力みにつながったのかダブルフォールト。
こうして錦織は3回のマッチポイントをしのいで、
5連続ポイントで8-6として、第3セットを7-6ととり、
勝利をものにし、準決勝進出を決めました。
2時間53分。
息詰まる熱戦でした。
試合後のインタビューでは、
次のように語っています。
「一瞬、やっぱり信じられなかったですね。
3―6ダウンでしたし」。
どんな逆境に追い込まれ、劣勢に立たされても
あきらめない
そんなメンタルを培ってきた錦織選手。
その原点は小学校時代にありました。
たった一言で気持ちを変えてしまう
詩人・相田みつをが好きで、相田氏の言葉や、
相田氏の言葉をまねた自作の言葉をノートに書いていたのです。
ただそれを両親に見られると恥ずかしいので、
書いたものは屑籠に捨てていたといいます。
「いい言葉なのでもったいない」と
ご両親は、こっそりとそれらをとっておきました。
今でこそランキング7位と世界のトップレベルに
到達した錦織選手ですが、決して順風だけできた
わけではありません。
それ以前から不調に悩まされていた2008年。
5月の全仏の予選2回戦で敗れ、
もう思い通りの動きができないと悩んだ錦織選手は、
ついに「テニスをやめたい」とのメールを両親に送りました。
そのとき両親からの返信メールに記されていたのは、
かつて自分が中学生の時に書いていた言葉でした。
「いつでも だれでもラッキーはくる、そう思え」。
このメールで、かつての言葉を思い出し、
立ち直り、現在の活躍につながっていったのです。
今回の試合のような劣勢に立たされたとき、
自分を鼓舞する言葉の一つが、上の言葉に加え
「まだいける そう思えるか」。
次のマリー戦に勝利すれば、
オリンピックのテニス男子で
96年ぶりとなる日本人のメダル獲得です。
まだいけます。
錦織選手。
〇錦織圭選手
プロの試合で最終セットの勝率が77%を超えて、
歴代一位を記録したことも。
〇モンフィス選手とは、今年のマイアミオープンでも対戦。
その時も5度のマッチポイントを乗り越え、勝利している。
これで3戦3勝。
〇「一生感動 一生燃焼 一生不悟」
錦織選手が座右の銘にしている言葉。
一生悟れなくてもいいから、
一生何かに感動し、一生何かに命を燃やしていきたい。
コメント
残念ながらマレー選手に敗れ、決勝進出はなりませんでした。3決定戦に期待しましょう。
96年ぶりにメダルを獲得しました。テニス男子シングルス3位決定戦。錦織圭選手は、スペインのナダルと対戦。6―2、6―7、6―3で下しました。