お昼のワイドショーを見ていたら、
20年ぶりに釈放された2人の方の
ニュースを取り上げていました。
20年前、大阪市で住宅が全焼し、
当時、小学6年生だった女の子が、
亡くなった放火殺人事件です。
放火さらに保険金目的の殺人の罪で、
無期懲役が確定した母親とそのパートナーの
男性の2人が、再審を求めていました。
このほど大阪高等裁判所は、再審を認める決定をし、
加えて、現在服役中の2人の刑の執行を停止し、
刑務所から釈放することも認めたのです。
番組の中で、再審開始を認められたのが、
非常に少なく(18件と聞いたが間違っているかも)
「再審開始は、ラクダが針の穴を通るより難しい」
との表現が出てきました。
(ジャーナリストの大谷昭宏さん。フリップにもなっていた)
一緒に放送を見ていた家族が、
「なんで針の穴とラクダなんだろうね?」
と聞いてきました。
「これに似た表現が、聖書にあり、
中東でラクダは身近な生き物だから、
不可能という意味で、例えに用いたのでは……」
と答えました。
以前にも調べたことがあったのですが、
気になってもう一度、調べ直しました。
表現には、前があり、ラクダと針の穴の部分も
少し異なっています。
「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」
(マルコによる福音書第10章25節など)
イエスが金持ちの青年に向かって言った言葉です。
青年はイエスに、
永遠の命を得る方法を尋ねます。
イエスは、戒律を守れと答えます。
青年は、それは守っていると返事します。
それに対して、イエスは、青年に、
自分の持ち物を売り払い、貧しい人々に施しをすれば、
天に宝を持つことになる。さらに自分に従うように
求めるのです。
その言葉を聞いた、青年は、失意のうちに立ち去ったのでした。
その後に、イエスが言ったのが、上の言葉です。
この成句の解釈については、諸説あるようです。
「針の穴」は、文字通りの針の穴ではなく、
古代のイスラエルなどの城壁都市にあった
人がやっと通れるような、小さなくぐり門のことだ
というのが一説。
そこをらくだが通るには、背中の荷物をおろし、
膝を屈して通らないとならず、かなり難しいというもの。
らくだは、聖書の世界の中東では、人が乗ったり、
荷物の運搬に日常的に使われていた生き物なので、
自然にそうした例えが出た。
一方で、針の穴は、文字通りの針の穴であり、
「らくだ」は、らくだではなく、ロープ(綱)である
との説もあります。
イエスが話したであろうアラム語では、
「らくだ」と「ロープ」を意味する
単語が、同じ音であり、
(同じ単語で意味が複数あるとの解釈も)
アラム語からギリシャ語に翻訳する際に、
「ロープ」に訳したとの説です。
針の穴に通すのは、一般に糸ですが、
それが綱になると絶対通らない。
言葉の親和性から言えば、綱が近いですね。
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《12月17日、今日の気になった言葉「針の穴にロープを通すくらい難しい」。「針の穴」とは?》
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