台湾から夏の甲子園に出場し、準優勝した
嘉義農林学校の活躍をテーマにした映画「KANO」。
ご存じでしょうか?
この映画自体も素敵な作品でしたが、
それをきっかけにして生まれた心温まるエピソードが、
2015年5月9日付けの朝日新聞夕刊一面に掲載されていました。
《106歳~拝啓、台湾の君へ 約80年前の教え子に手紙
宛先不明、局員が探し出す》
http://www.asahi.com/articles/DA3S11745318.html
熊本県玉名市にお住まいの106歳の高木波恵さんが、
映画「KANO」を見て、台湾の烏日公学校(現・烏日小学校)で
教鞭をとっていた時の教え子に、消息を知りたいと手紙を書きました。
高木さんは、大正時代に警察官の父親と一緒に、
台湾に移り、30年ほど生活。
1929年から38年の10年間、台中の小学校の低学年を教えていたんだとか。
嘉義農林が活躍した当時、ラジオを聞きながら、応援をしたそう。
その体験を朝日新聞熊本版で取材され、教え子たちの消息を知りたくなり、
娘に代筆してもらい、教え子の一人に送ったとのこと。
けれど、その住所が、今は存在しない住所だったため、
宛先不明で配達出来ない状態で、郵便局に留まっていました。
日本からの分厚い手紙であったため、
「大事な手紙に違いない」と思った、
郵便配達を始めてまた2年半弱という
郭柏村さんの目にとまりました。
彼は、ほかの局員と手分けして、聞き込みをするなどし、
昔のことを知っている人を見つけるなど手を尽くし、
12日かけてようやく宛先の教え子の息子さんに
手紙を届けることが出来たのだそう。
その教え子の楊漢宗さんは、87歳。
その息子さんが手紙に感動し、
高木さんの教え子たち、およそ20人を探し出しました。
こうして教え子の皆さんは、高木先生に手紙を書いて、
交流が復活したとのこと。
残念ながら、高木さんもまた教え子の皆さんも高齢なため、
台湾、日本双方を訪れることは出来ないので、
インターネットを使ったテレビ対面が出来ないかを
模索しているところだそう。
実現できれば素晴らしいことですね。
映画「KANO」の監督は、
「海角七号 君想う、国境の南」という作品も作っています。
その内容は、今回のエピソードにそっくりなんですね。
《敗戦で日本に引き揚げた日本人男性教師が離ればなれになった
台湾人女性へ思いをつづった手紙が、今はない日本統治時代の
住所あてに届き、郵便局員が女性を探すというあらすじ》。
それにしても80年もたって、先生が教え子に届けた手紙が、
届いて、交流が蘇るというのは、まさに善意の人たちの
努力があってこそ。
感激しました。
「KANO 1931海の向こうの甲子園」公式サイト
http://kano1931.com/
下高井戸シネマで、6月20日~26日上映
http://www.shimotakaidocinema.com/schedule/c/index.html
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