先日、NHKで
《“郷ひろみ”という生き方~60歳のエンターテイナー~》
の再放送をしていました。
http://www4.nhk.or.jp/P3895/
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/3895/2625175/
3月に放送された時も見ているのですが、
なぜだか、再放送を録画してしまいました。
それはともかく、
郷ひろみさんは、2015年10月18日に
60歳を迎えているので、現在は61歳ですね。
この月曜日、2016年10月31日、
3ヶ月ぶりに行きつけの美容院に。
そこでしか、読まない雑誌が
幻冬舎の「GOETHE」(ゲーテ)。
http://www.gentosha.co.jp/goethe/
そちらに、郷ひろみさんの連載がありました。
《郷ひろみ 黄金の60代》
http://www.gentosha.co.jp/goethe/
まさに60代を迎えた郷さんが、
考えていることをつづったエッセイです。
この号では、これまでの人生の中での
誕生日について書かれていました。
なかなかに興味深かったのですが、
気になった記述が。
それは、遊牧民に関するものです。
遊牧民はカレンダーを持たないので、
誕生日を祝うという習慣がない
という旨の伝聞記述。
遊牧民は日の出日の入りで1日を意識し、
自然の変化、羊などの成長、出産などで、
時を意識しているけれど、何月何日という
いわゆる数字の日付を考えて、生きている訳ではない。
そんなことを聞いたことがあります。
なので、遊牧民の人たちは、自分の正確な
生年月日を知らないことが多く、誕生日や
記念日といった感覚がないとのこと。
カレンダー、日付の意識がなければ、
そうしたものを祝ったりということは
あり得ないですからね。
あるとき、認知症の診断の質問の一つに、
今日の日付を聞く項目があると教わりました。
「今日は何年何月何日ですか? 何曜日ですか?」
こう尋ねて、答えられないと、
認知症の可能性が高いと判断されるのだそう。
こうした「今日は何月何日か」や、
「今は何時か」また「自分がいる場所がどこか」といった、
自分が置かれている状況の認識を「見当識」といいます。
そして「今日は何月何日か」「ここはどこか」などが
認識できなくなる障害を見当識障害と呼びます。
上にあげたように、見当識が正確がどうかが、
認知症か否かの判断の基準となっているんですね。
この基準から言うと、一見、遊牧民の人たちは、
見当識が欠けていると思われそうですが、
彼らは彼らなりの時間の見当識を持っています。
時間の認識が日付ではないだけなんですね。
考えてみれば、人がこうした時間とか、
カレンダー(暦)を持ったのは人類の歴史の中でも
まだ短いと言えば短い。
もしかして、こうした概念を
持たなかった時の方が、
豊かに生きていたのかもしれませんね。
中国の倉頡(そうけつ)という人物が、
漢字を作ったとされています。
「淮南子」には、
「倉頡が文字を作ったとき、
天は栗を降らせ、鬼は夜に泣いた」と記されています。
この解釈については、いろいろあるようです。
その一つに、蒼頡が文字を作ったおかげで、
生活は豊かになったが、他方で、神秘的なものへの
畏れや祖先を祀る真心はなくしてしまったというものがあります。
便利になったり、豊かになる一方で、
失われるものがある。
時、時間、暦、カレンダー。
こうした概念、モノの発明は、
人類を豊かにしたけれども、
もしかしたら、何か大事なものを
失わさせてしまったのかもしれません。
郷ひろみさんのエッセイを、
髪を切ってもらいながら、読んで、
そんなことを考えました。
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