金山寺味噌は夏の食べ物。苦手だった子どもの時。大人になって食べたら……。

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金山寺味噌。

あなたはご存じですか。

2017年9月9日、読売新聞夕刊の
連載《辛味主義》は和歌山県湯浅町の
太田久助吟製の「金山寺味噌」が
紹介されています。

《蒸した大豆と麦、米に麹菌を付けて
室で3日間寝かせ、塩と砂糖、刻んだウリや
ナス、ショウガ、シソなどを合わせて
漬け込み、2~3ヶ月間熟成させ》たものです。

記事にもあるように、
熱いご飯の上にのせたり、
酒の肴にしたりします。

金山寺味噌の思い出は夏と結びついています。

母方の親戚(本家)のおばあさんが、
夏の朝、冷たい水をかけた
お茶漬け(水漬け)のおかずとして、
金山寺味噌を食べていました。

そこで食べていたのは、
どこの会社のものかわかりませんが、
紀州、和歌山県のものでした。

しかし時には、おばあさん自身が、
ナスやショウガを刻み、
家で作ったものも口にしていましたね。

わが家にもお裾分けしてもらったり、
当時大阪に住んでいた大叔母のところから
お中元として送ってもらったものを
食卓にあげていました。

わが家の中では、白いご飯の上にのせるほか、
キュウリに付けて、口にしていました。

しかし、正直、子どもの自分は苦手で、
ほとんど口にしませんでした。

なので、おばさんからもらったお中元の
包みをあけて、それが金山寺味噌だと、
正直、がっかりしたものです。

それから随分、年月がたって、
世田谷区の居酒屋の二階に
事務所をかりました。

下は大家さん夫婦が住んでおり、
奥さんが居酒屋を営んでいました。

すぐ下なので、そこによく顔を出しました。

旦那さんも店に顔を見せ、
自分で作ったもつ煮込みを
常連さんにただで振る舞ったり、
家庭的な雰囲気でした。

今からすると信じられないのですが、
そのアパートにはエアコンがなく、
夏の夜は寝苦しい。

その日も暑かったので、
下に涼みがてら、お酒と
食事をしに行きました。

そしたら出てきた突き出しの1つが、
キュウリスティックと金山寺味噌でした。

大家さんの手前、残す訳にもいかず、
おそるおそる、キュウリの先に少しだけ
つけてかじりました。

そしたらこれがなんと美味しい!
ビールにとてもあうんですね。

「どうですか、うちの金山寺味噌、
なかなかいけるでしょ」と旦那さん。

聞けば、自家製。
さらに隣に座って、話を始めたのですが、
戦時中、兵隊にとられた時、一時駐屯していたのが、
この金山寺味噌のルーツと呼ばれるお寺のある
地方だったそう。

なお紀州味噌工業協同組合の
金山寺味噌のサイトには、
以下のようにその由来が書かれています。

《和歌山県由良町にある興国寺へ伝わったとされるものです。
鎌倉時代 建長元年(1249年)に宋(今の中国)に渡った
法燈国師が「径山寺味噌」を日本に持ち帰り製法を伝えました。
法燈国師は由良町の「興国寺」を建立した僧、覚心のことです。
その後、交通の便も良く、また水質が味噌醤油の製造に適していた
という湯浅町やその他の地域に伝えられ、以来親しまれてきた
とされています。》

これが最も有力な説で、和歌山のメーカーの中には、
宋の「径山寺」がもとであることを重視して、
「径山寺味噌」(きんざんじみそ)として、
販売しているところもあります。

由来に関してはほかにもあります。
上記サイトはもう1つ取り上げています。

《和歌山県・高野山真言宗の開祖、空海(弘法大師)が、
遣唐使として入唐・勉学の折、(835年11月長安入り)唐の
金山寺から持ち帰り、高野山開創後、大勢の修行僧を養う
「僧坊食」として用い、その後修行僧が各地に広めた
とされる説があります。》

《紀州金山寺味噌の歴史》
http://www.kinzanjimiso.jp/history.html

「径山寺」は中国浙江省杭州の
天目山にある臨済宗のお寺で
中国五山の一つです。
唐時代に建立されています。

一方、金山寺は中国江蘇省金山にある
江天寺の通称です。

大家さんが駐屯していたのは、
他の話から総合するとおそらく、
上の径山寺ではないかと思います。

そのアパートにいたのは
考えるともう今からもう30年近く前。

大家さんは亡くなり、居酒屋、古い
アパートは取り壊され、息子さんが
新しい賃貸マンションを建てているようです。

お元気な内に、もう一度、訪れ、
金山寺味噌をさかなに、ビールを飲み、
話をしたかったですね。

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