「京の蛙と大阪の蛙」。梅雨入り前に、近所の公園で少なくなった蛙を見かけて。

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東京ではカエルを見ることが少なくなりました。
けれど、先日、雨の降った日、近くの浜町公園で、
小さなアマガエルを見かけました。

公園内には、小さな池があり、そこには、
カエルの卵を見かけたことがありますので、
温暖化の中、ひっそりとけれど、しっかりと、
カエルは生きているのかもしれませんね。

ふいに「京のカエル大阪のカエル」
というお話を思い出しました。

京都の民話だそう。
京都の長年住んでいるカエルが、
ある日、大阪が良いところだと聞いたので、
見に行きたいと仲間に告げました。

仲間は遠いからと反対。
けれど、そのカエルは、出かけていったのです。

一方、大阪にも同じようにそこに長年住むカエルがいました。
京都はとても良い所だと聞き、行ってみたくなりました。
仲間からは遠くて大変だと忠告されたのですが、
やはり出かけていったのです。

京都と大阪の間に天王山という山があります。
京都のカエルは、そのふもとにつきました。
一方、大阪のカエルもふもとに。
二匹は太陽が照りつける中、山を登っていきました。
そしてへとへとになりながらも頂上にたどり着き、
そこで出会ったのです。

お互いに尋ねます。
「どこに行くのですか?」
「大阪です」
「あんな所、面白くないです。おやめなさい」
「京都です」
「つまらないですよ。止めなさい」

そこで二匹は、立ち上がって、京都、大阪をそれぞれ
見てみることにしました。

京都のカエルは、大阪を見て、
「京都と同じだ」。
大阪のカエルは京都を見て、
「大阪と同じだ」。

同じなら、行ってもつまらないと、二匹は、
いま来た道を引き返していったのです。

最初、読んでもらったか、読んだ時、内容は、
ここまででした。

あなたは、この物語の意味がわかりますか?

自分は小さいコトもあってか、わかりませんでした。
やっぱり生まれ育った場所がいいのかなくらいにしか、
思いませんでした。

後になって、誰かに言われてようやく、この物語の謎がとけたのです。

「カエルの目はどうついている?」

そう、カエルの目は、頭の上についています。
立ち上がったときには、前が見えず、後ろが見えるのですね。
そう二匹とも、今きた、それぞれの故郷の町を見ていたのです。

蛙と言う言葉が入ったことわざに、
「井の中の蛙大海を知らず」があります。
これは、「狭い見識にとらわれて、
広い世界があることを知らないこと」
という意味あいで使われます。

見聞を広めようと、それぞれ大阪、そして京都に
出かけようとした蛙たち。
自分の町と変わらないと思い、帰ってしまいました。

立ち上がったとき、自分の目がどこを見ることになるのか、
知らなかったがゆえのミスです。

となるとこの昔話の教訓は、「汝自身を知れ」
ということになるのでしょうか?

調べてみると、2014年2月18日の毎日新聞の
《香山リカのココロの万華鏡》というエッセイで、
香山リカさんが、このお話を紹介しています。

あらすじを紹介された後、こう書かれています。

《この物語の教訓は、「物事を確かめるには
まず自分自身をよく知らなければならない」ということだ》。

自分自身の目がどこについているのか、
すなわち目とは、知識、これまでの常識、
体験、考え方の偏りとったところでしょうか。

ものごとを判断する前に、知っておいた方がよさそうですね。

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