1997年・平成9年に起こった神戸連続児童殺傷事件。
非常にショッキングな事件でした。
容疑者が逮捕される前、多くの識者、専門家が、
容疑者を推定していましたが、それらはいずれも外れ、
逮捕されたのは、当時14歳11ヶ月の少年でした。
少年法に守られ、「少年A」とされたその少年は、
すでに医療少年院を仮退院し、働いているとの情報が、
ネットなどで書かれていました。
その「元少年A」が、手記「絶歌」を、
6月10日、太田出版から発売したとのこと。
随時店に置かれ販売されると報道されていたので、
近所の書店2軒、回りましたが、
どちらにもありませんでした。
その手記には、事件に至る心境、逮捕されるまでの勘定の動き、
医療少年院を仮退院した後のアルバイト生活、そして、巻末には、
「被害者のご家族の皆様へ」として、
「どれほど大切なかけがえのない存在を、皆様から奪ってしまったのかを、
思い知るようになりました」と書かれているようです。
出版社は、遺族に、加害男性の手紙を添えて本を届けるとのこと。
この出版に対し、亡くなった土師淳君の父の守さんは、
弁護士を通じ談話を出しています。
手記を出すことは、報道で知ったとのことで、
以前から、加害少年をメディアに出すようなことは
してほしくないと伝えていたが、その思いは無視された、
今回のことも理解できないと。
出版の前、5月には、加害少年から、手紙が送られてきて、
それを読んで、「私たちとしては、これ以上はもういいのではないかと」
考えたものの、「出版はそのような思いを踏みにじるもの」で、
「文字だけの謝罪であり、遺族に対して悪いことをしたという気持ちが
無いことが、今回の件でよく理解できました」としています。
そして、出版の中止と、本の回収を求めています。
個人的には元少年Aが、この事件をどう振り返り、
つづっているのか、非常に興味があります。
これまでに、未成年で犯罪を起こし、
死刑囚となった人物が、手記を出した例はあります。
永山則夫死刑囚の手記「無知の涙」がそれです。
死刑執行は、1997年8月1日、東京拘置所において行われました。
まさに少年Aが、逮捕されたのは、
同じ年の6月28日でした。
当時、少年法は、被害者より加害者保護に偏りすぎていると、
世間の反発があり、厳罰化を求める声が大きくなっていました。
永山死刑囚を処刑する事で、そうした声を、
当局がおさめようとしたのではないか
そんな見方もされました。
永山死刑囚が亡くなった後、遺言により、
「永山子ども基金」が設立されました。
http://www.n-cf.org/nagayama/bienvenidos.html
これは、永山死刑囚が、書いた小説などを含めた著作の印税を、
国内と世界の貧しい子どもたちに寄付するという趣旨の基金です。
貧しさから犯罪を起こしてしまった自らの境遇と同じ子どもが
一人でもないようにとの願いが込められているとのことです。
元少年Aが、遺族の感情を鎮め、
納得させる謝罪をするのは、
非常に難しいことであると思います。
けれど、彼にできる精一杯のことをした上であれば、
今回のような手記を発表することは、
社会的な意義があることではないかとも思います。
遺族の方々の反応を見るに、加害者そしてその周辺の人たちは、
手記を出す前に、誠意を尽くした謝罪、行動を十分に
行っていなかったように思えます。
それさえ行っていればと悔やまれます。
〇加害者の母親も、ずいぶん前になりますが、
『「少年A」この子を生んで……―父と母悔恨の手記』との本を
出版しています。
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