2015年11月16日の朝日新聞朝刊。
《Re ライフ》で、書道が特集されていました。
《きれいな字を書きたい》。
ご祝儀袋にきれいに名前を書きたくて
書道を20年以上前から続けている、
読者の方からの投稿をもとに
「書道を楽しむ」ためのノウハウ、情報が
取り上げられています。
自分も小学校、中学校の時代に、
学校とは別に毎週1回、習字の塾に
通っていました。
そして人生やり残した目標の1つに、
1枚、1字でもいいので、筆で
自分が納得した字を書くことがあります。
そのわりに、習字を復活させていないので、
反省しているのですが……。
それはともかく、この記事の中で、
1つ関心を引いた言葉があります。
《手習いも「目習い」も大切》との見出し
の中の「目習い」です。
その言葉は、書道専門誌「墨」編集長である
石山知明さんの記事の中に出てきます。
《手習いだけでなく、目習いも重要です》。
「目習い」とはどういうことなのでしょうか>
《書展に足を運び、書家の作品に触れてみて
ください。注目するのは全体の雰囲気や構成、
じのにじみやかすれ、筆の勢い。》
そう、優れた作品を見ること。
いいものを見ることで、
いい字とはどういうものかわかり、
自分が書くときの助けになるんですね。
この「目習い」は、書道に限らず、
芸事、また広く仕事でも物事を習い、
習得するさいの基本の1つとされています。
順番は異なるかもしれませんが、
「手習い、目習い、耳習い」
などとも言われます。
大工の棟梁、紙すき、
下駄作りの職人さん。
いろいろな方から、同じような言葉を聞きました。
「目で盗む」「目養い」。
書道の世界では、「臨書」といって、
古典の作品をお手本に書く習得方法があります。
けれど臨書はどうしても、自分で書かねば
ならないので、どうしても見る方が
おそろかになりがちです。
「目習い」は、見ることだけに
集中するので、より効果が高いのですね。
そうそう、「目養い」は、
そうした意味のほかに、
別のニュアンスもあります。
下手な作品、ダメなものを見続けると、
目に「アカ」がつく。
いい作品、古典などを見て、
そのアカを落とし、目を喜ばせる
というのが、「目養い」と教わりました。
料理でも、音楽でも、レベルの低いものを
ずっと味わったり、聞いていると、
自分の能力、感受性は落ちてしまう。
それをたまにリフレッシュしてやらねば
ならないようです。
書道の「目習い」。
また他の分野での「目養い」を
しようと思いました。
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