町内のお稲荷様の初午祭。町会からお赤飯をいただく。初午詣で。落語「明烏(あけがらす)」。

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2016年2月19日、お昼ご飯を家で食べていたら、
町会の人が訪ねてきました。

今度の土曜日、20日に
町内のお稲荷様の初午祭を行う
とのお知らせとお赤飯を持ってきて
いただいたのでした。

初午祭。

最近は、スーパーやコンビニなどで、
「初午いなり」として、売り出している所もあるので、
聞いたことがあるという方は多いかもしれません。

初午祭は、名前の通り、2月の最初の午の日に、
各地の稲荷神社で行われるお祭のこと。

稲荷社の本社である京都の伏見稲荷大社の
稲荷山の三ヶ峰に、稲荷大神が初めてご鎮座になったのが
711年和銅4年2月の初午の日とされているのです。

このためこの日に、神の使いとされる
狐の好物・油揚げなどを奉納して、
五穀豊穣、商売繁盛をお願いし、参詣します。

地方によってお供えものが近いますが、
わが町内の稲荷では、油揚げ、お赤飯をお供えし、
お赤飯を町内に配ります。

わが町内のお稲荷様は、
町会で維持管理をしています。

今年で遷座されてから(およそ)380年。
ですが、特別なお祝いは行わず、
例年通り、神職の方をお迎えし祈願を行い、
町会の人々がお参りするだけのようです。

〇2016年の初午の日は、本来は2月6日。
2月の最初の午の日は、一年のうちで
最も運気の高まる日とされているところから、
初午詣では福詣でとも言われ、
初午に参詣する人は多かったよう。
ちなみに、「午」は、方位で言えば「南」、
時間は、言葉に残っているように「正午」を表わします。
太陽が最も高く昇り、一日のうちでも
日の光が最も強まる時とされているのです。

〇江戸時代、落語と初午祭
町内のお稲荷様は、江戸時代以来の歴史。
両国橋が掛けられ、橋の両端は広小路となり、
芝居小屋、水茶屋、見世物小屋などがあり
賑わっていたそう。
稲荷は両国橋の守り神とされていた。
(江戸時代後期、江戸一番の盛り場だったようです)

江戸時代に、初午祭は、2月の風物詩として、
大いに庶民に親しまれていた。

落語の「明烏(あけがらす)」は、この初午の日のお話。
日本橋田所町三丁目(現在の中央区日本橋掘留町二丁目)の
日向屋半兵衛の息子・時次郎をは、19歳にもなるのに世間知らずで堅物。
心配した親が、初午の日に、町内の遊び人、源兵衛と太助に、
吉原に連れて行くように頼む。
2人は浅草観音様の裏に、御利益のあるお稲荷様がある。
そこへの参詣と嘘をついて……。

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〇川上稲荷神社
創建 寛永五年戊辰七月(1628年)
《旧幕府の乗船場にありしが、明治2年4月神域を此の地に移し崇敬す。
明治6年1月神田神社の兼務社となり、昭和20年戦禍により焼け、
昭和63年360年祭記念として再建す》

〇初午祭と太鼓
賑やかなことが好きなお稲荷様。
初午祭のため、太鼓を買う風習が。
お正月の末頃から、太鼓売りが町を売り歩いた。
太鼓はならすが無言で売るものだったとか。

落語「火焔太鼓」に、
古びた火焔太鼓を仕入れてきた亭主に
女房が、
「太鼓なんてえものは、際物(きわもの)といってね、
お祭りのまえか、初午まえに買って、ぱっと売っちゃうもんだよ」
なんてまくし立てる場面があります。

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niki

35年以上にわたり、TV、ラジオ、
イベント制作に携わる。30年余
り、放送関係の専門学校講師を
勤め、企画書、台本の書き方を
教える。10年余りホテルの食に
関するHPの制作、コンサルタ
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