「人生は洗濯だ」。「え、選択じゃなくて洗濯?」。その意味するところは? 命、心を洗濯する。

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わが家では、未だに80歳を過ぎた母が、
家族の洗濯を行っています。

と言っても全自動洗濯機で洗い上げた洗濯物を、
屋上に干して、午後3時頃、取り入れ、たたむ
だけですが。

屋上の洗濯物

昔のように洗濯板、たらいで手洗いしていた
頃に比べれば天国と言うものの、80歳を過ぎた年には、
物干し場までの往復、取り入れ、服をたたむのは、
結構つらいことになっています。

このため、朝、洗い終え、水を含んで重くなった
洗濯物を上にあげるのは、自分がやるようになりました。

そんな洗濯の話を、母と同年代の男性にしました。

その人が語ったのは、
「人生は洗濯だ」との言葉。

以前、「人生は選択の連続だ」
との表現を聞き、確かにそうだなと
思ったのですけれど、選択ではなく洗濯とは。

その意味を尋ねました。

その方、曰く、
人は生きている限り、新陳代謝で、
着ているものが汚れる。
その汚れをきれいにして、それを着て、
また汚れたら、それを洗濯。

その繰り返しが人生。

汚れなくなる、洗濯しなくなるということは、
そこで生きていないこと、人生を終えることと。

服、着るモノだけでなく、人は生きている限り、
心や命が汚れてくる。

貪欲、怒り、嫉妬……。

そうした汚れを、日々、きれいにして、
リセットしながら、生きていくことが肝要。

日々、生きていく中で汚れはたまる。
そしてそれは、「自分」できれいにできる。
洗濯できる。とれない汚れはない。
汚れたら何度でも洗濯できればよいと。

ただ人は目に見える服の汚れには気づくが、
自分の心や命の汚れには気づきにくい。

「あなたは、心、命の洗濯をしていますか?」
と逆に問い返されました。
(一般的に命の洗濯とは、出かけたり、食べたり、飲んだりして、
気晴らしをし、常日頃の苦労を一時忘れることをさすが、ここでは
そうではない)

《香を執(と)れば自ら馥(ふく)し、
衣を洗えば、脚(あし)浄(きよ)し》
(弘法大師の言葉です)

この意味は、
「香を持っているだけで、自分の体からよい香りがしてくる。
川に入って衣を洗えば、自ずから脚も清浄になる」
ということだとか。

いつも世のためになることを考え行動していると、
自然に、その良き影響は広がり、ついには、
自分の身に良いことが巡ってくる、という教えだそうです。

「人生は洗濯である」という言葉に納得したことでした。

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プロフィール
この記事を書いた人

35年以上にわたり、放送(TV、ラジオ)業界、イベント制作に携わる。
30年余り、放送関係の専門学校講師を勤め、企画書、台本の書き方を
教える。10年余りホテルの食に関するHPの制作、コンサルタントも、
行う。新聞は小学4年生から読み始め、多い時には13紙を愛読。現在は朝、毎、読、日経、日経流通、日経産業、産経、東京、日刊スポーツの
9紙を購読。取引先、図書館で地方紙、専門紙、雑誌もチェックする。
ブログ「トクダス」
https://nikitoki.blog.ss-blog.jp/
ブログ「人生やり残しリスト」
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