「冷暖自知」(れいだんじち)。ネット、ヴァーチャル時代。実際に体験することの重要さ。

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中学の時だったか、町のパン屋さんが
新たに発売したパンが評判となったことがあります。

友達が別のクラスメートに
そのパンについて説明しています。

それに自分も加わり、
その味について語りました。

遠くで聞いていた担任の先生が、
クラスメートに、
「そのパンの味はわかったか?」と尋ねました。

「なんとなく想像はできますが……」。

「いくら説明を聞いても、パンの味はわからないだろう。
けれど味は食べればすぐにわかる」。

こちらで聞いていた我々は、
何を当たり前のことを先生は言っているのか
と思ったものでした。

「冷暖自知(れいだんじち)」。
(「れいだん、みずから、しる」と訓読)

この言葉を知ったのは、大学いや、
社会人になってからでしょうか。

水の冷たさ、暖かさは、
人に説明してもらってもわからないが、
自分で飲んだり、手を差し入れれば、すぐわかる。

それと同じように真の悟りは、
誰かに教わったり、学んだりするものではなく、
自ら修行を行い、自分で会得するものである。

禅の世界の言葉(禅語)だそうです。

中学の時の担任は、
このことをを言っていたのだな
とようやく気づきました。

《佐藤俊明のちょっといい話》《第18話 冷暖は身体で覚える》
http://www.jtvan.co.jp/howa/Sato/houwa018.html

「行けるなら行く。会えるなら会う。
食べれるなら食べる。自分で体験するに勝るものなし」

「一次情報と二次情報というのがある。
何が違うかというと、直接自分が体験したかどうかだ」。

こんなことを先生は言っていた記憶があります。

そういえば、ご存じ、「男はつらいよ」の
寅さんのセリフもよく口にしていましたね。

「お前と俺は 別な人間なんだぞ!
早え話がだ! 俺が芋食って、 お前の尻から プッと屁がでるか?」。

この言葉の解釈については、いろいろあるでしょうが、
上の記述に引き寄せて言うと、
「自分で芋を食わないと、屁も出ない」。

自分で芋を食う=体験することが大切と言うことでしょうか。

 

 

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亀の知恵

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