元アナウンサー・山川静夫さん。「説似一物即不中(せつじいちもつそくふちゅう)」とは?

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10回にわたり朝日新聞夕刊に掲載されていた
山川静夫さんのインタビュー。

最終回10回目は、7月3日に掲載されました。

その中にあげられた言葉に感銘を受けました。

朝日新聞、2015年7月3日、
《(人生の贈りもの)わたしの半生
元アナウンサー・エッセイスト、山川静夫:10 82歳》
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11840319.html

《――もうひとつ、今後アナウンサーは、
テレビはどうあるべきだとお考えですか。

禅宗に「説似一物即不中(せつじいちもつそくふちゅう)」
という言葉があります。何かについて、こういうものだ
とえらそうに言っても当たっていないことが多い
という意味だそうで。つまり決まった答えはない
ということでしょう。
アナウンサーもテレビについても、
正解は色々あり得ると思いますよ。》

この言葉は、中国の唐時代中期の
南嶽懐譲(なんがく・えじょう)禅師の言葉だそう。

南嶽懐譲(なんがく・えじょう)禅師は、
前州玉泉寺で出家。後に、嵩山(すうざん)の
慧安(けいあん)和尚のもとに。
さらにそこから曹渓(そうけい)の
六祖大師の元に向かいます。

その六祖が悟りを求めてきた、
懐譲に次のように問います。

「いずれの所よりか来たる」
「嵩山(すうざん)より来たる」

「何物がここへ、このようにやって来たのか」
(「あなたは何者か?」と自己存在を問う)

ここで答えに詰まったは、この六祖のもとで
8年の修行の日々を送ったと言います。

そしてある日、悟るところがあり、
上の問いに対し、
「説似一物、即不中(せつじいちもつ・そくふちゅう)」
と答えたとされるのです。
(すぐに答えたと伝えている書もある)

この意味は、「言葉であれこれ説明しても、
的外れになってしまいます」。

この言葉を聞いた六祖は、
「汝(なんじ)徹(てつ)せり」と答え、
悟ったことを認めたと言います。

懐譲(えじょう)は、師から許されたあと、
さらに15年間も、師に使え、さらに悟りを
深める修行を積んだとのことです。

自己が何者か、真理とは何か。
言葉は、真理そのものではない。
言葉のみでそれを伝えることは難しい。
言葉によりかえって真理から離れることもある。

いや深い世界です。

《-説似一物即不中- えしん先生の禅語教室 その9》
http://www.zenbunka.or.jp/zenken/archives/2009/07/post_648.html
《臨黄ネット》
《説似一物即不中(五灯会元) せつじいちもつそくふちゅう》
http://www.rinnou.net/cont_04/zengo/090701.html

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