養老孟司さんが、40歳過ぎまであいさつが苦手だったわけ。5歳直前、亡くなったお父さんに言えなかった「さよなら」。

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解剖学者の養老孟司さんへのインタビューが
2015年9月14日から朝日新聞夕刊で始まりました。

《人生の贈り物 わたしの半生》
《(人生の贈りもの)わたしの半生 解剖学者・養老孟司:1 77歳》
http://www.asahi.com/articles/DA3S11964093.html

15日はその2回目、
《死にゆく父に言えなかった「さよなら」》
とタイトルがついています。

《(人生の贈りもの)わたしの半生 解剖学者・養老孟司:2 77歳》
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11966141.html

この回では、94歳まで現役の小児科医だったお母さん、
そして早くに亡くなったお父さんの思い出が語られています。

養老さんは、意外なことに40歳過ぎまで
あいさつが苦手だったそう。
その苦手な理由を、あるとき、地下鉄のホームで
「あれだ」と気づいたのだとか。

あなたは、「あれ」とは何だと思われるでしょうか。

それは、養老さんが5歳になる直前に亡くなった
お父さんの臨終の記憶に関係があったのです。

養老さんには、お父さんの記憶が
2つしかないそう。

その一つが、
《寝たきりだった父が、ベッドから体を半分起こして
文鳥を逃がそうとしている姿。》

養老さんは、逃がした理由を尋ねたのですが、
お父様は答えなかったそう。
そこにはお母さんもいたとのことで、この記憶は、
お父さんが亡くなる朝のことだと、お母様から
後で教えられたようです、

そしてもう一つが、その夜の記憶。
すなわち、お父さんが亡くなる直前、臨終の時の記憶です。

《その夜の記憶。真夜中に起こされて、布団に横たわる父の横に
連れて行かれて「お父さんにさよならを言いなさい」
と言われるんだけど、僕は何も言えないんです。
何も言えない僕に、父がにっこりとほほえんで。
次の瞬間、血を吐いて事切れました。》

養老さんは、促されたけれど、
父親への最後のあいさつ
「さよなら」が言えなかったんですね。

「あいさつ」が苦手だったことと、
この記憶を、次のようにご自身で
分析していらっしゃいます。

《父親に「さよなら」を言えなかったことが、意識の深いところで
つながっていたんだってね。そう気づいた瞬間、「いま父親が死んだ」
と思いましたね。自分からさよならと言わない限り、父は自分の中で
生きている。親の死を、心の中に「未完」のままでおいていたんですね。》

さらに続きます。

《するとこだわっていたことが消えて、あいさつは「ただのあいさつ」に
変わりました。精神分析で言う抑圧です。言えなかった「さよなら」が
象徴していたものは、「死んじゃ嫌だ」という思いですよ。
嫌なことを頑として認めようとしない性質だったんでしょうね。
父の死を認めたくないから、「さよなら」と言わなかった状態を継続すること。
それが唯一、僕に出来る抵抗だったんでしょう。》

自分も同じような体験をしたことがあります。

ある友人が若くして亡くなりました。
お通夜は前日に行われ、その日は告別式。

友達の自宅近くで行われています。
わが家から歩いて行ける距離です。

行こうと行けばすぐに行けた。
しかし行けなかったんですね。

なぜ行けなかったのかを含め、
この友達の死を考えることが避けていました。
しかし時々、夢の中では出てくる。

このことを考えられるようになったのは、
養老先生の35年あまりに較べて、
短いですが、それでもずいぶん時間が経ってからです。

なぜ友達の告別式に行けなかったのか
を自分なりに考えました。

行ってしまえば、そこで友人の死を認めたことになる。
はっきりと友人の死の事実を突きつけられる。
それに自分は耐えきれなかった。
友達の死を受け入れられなかった。
友達の死という理不尽に
抗(あらが)いたかったのだと。

頭の一部では、友の死を少しずつ
受け入れていますが、頭の別の所では、
まだ友達は自分の頭・心の中では生きている
という気がしています。

整理がついていないのです。
時間をかけて、少しずつ受容していきたい
と考えています。

あなたの中にも、こうした「抑圧」があるかもしれません。
無理をなさらないで下さい。

時間が少しずつ解きほぐしてくれるはずです。

 

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