今朝、朝食をとりにダイニングに行くと、
下から新聞を持ってきた母と入り口のところで、
あいました。
顔を合わせた第一声は「おはよう」ではなく、
「原節子さんが亡くなった……」でした。
朝食の間、母はずっと原節子さんの映画、思い出、
そしてついでに自分が若い頃、少しだけ原節子さんに
似ていると呼ばれていたことなどを話し続けました。
昼前、銀行に用事があり、仕事場を出てすぐ、
叔母さんに会いました。
母より3歳上、80代後半ですが、
元気に毎日出歩いています。
挨拶すると、「原節子さん、死んだねー」と叔母さん。
原節子さんは、母、叔母より年上の95歳。
50年ほど前に引退し、公に姿を現していませんでしたが、
母、叔母さんの二人にとって、原節子さんは、
自分たちが生きた時代を感じさせてくれる
特別な存在だったようです。
大昔。
大学時代だったか、北鎌倉、鎌倉界隈の
小津監督のお墓や、小津映画のゆかりの地を
1日かけて歩いたことがあります。
その時に、原さんが住まわれていた
お宅の近くも通りました。
出演作を何本か見て、
引退し外に出ないのはもったいない
と思いました。
けれど、名声、富などを捨て、
一切外に出ないのはよほどの覚悟なのだなと、
感じたものです。
亡くなると自分の時代が去ったと思わせるような
大きな喪失感をもたらす人物。
母や叔母にとっては、原節子さんがそうでした。
自分の生きた時代を象徴するスター、人物。
どの世代、また誰にもそうした人物はいるはずです。
自分にとっては誰なのかなと、
しばらくの間、昔を振り返りました。
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