2月22日。
一般には「猫の日」で知られていますね。
ニャーニャーという鳴き声からの連想のよう。
わかりやすい。
また今日は「忍者の日」でもあるんだそう。
え、なんで?
こちらもまた「ニンニンニン」
という音からの連想だとか。
こんなことでいいのだろうか
という気もしますが、まあいいか。
今日は忍者に関する様々なイベントが行われると。
http://222.ninja/
そんな新聞記事がでていたのですが、
その中に「甲賀忍者の子孫発見」とのニュースも。
甲賀忍者の故郷である、
滋賀県甲賀市が、「忍者の子孫を見つけた」
と発表したというもの。
市が古文書の分析などをおこなったところ、
市内に住む73歳の伴資男(すけお)さんが
忍者の子孫だとわかったというのです。
現在、伴さんの職業は農業。
発表の時に、同席した
伴さんの挨拶は次のような
ユーモラスなものでした。
「忍者と関わりがあるとは思わなかった。今は農業をしていて、
CIAなどの諜報(ちょうほう)機関では働いていません」。
甲賀市の調査団は、今年1月に、甲賀の忍者集団とされる
「甲賀武士53家」と同じ名字の725世帯にアンケートを
送付したところ、224世帯が回答してくれ、88世帯が
忍者の子孫と答えたとか。
そのうち31世帯が手裏剣類、装束、巻物などが
あると回答を寄せたそうです。
いやー、すごいですね。
このニュースを読んで思い出したことがあります。
愛媛県の祖父母の家を、
小学校の時の、夏休みだか、
春休みだかに訪ねた時の話です。
祖父母の家は農家。
母屋と納屋さらに倉庫もある
大きな家でした。
同い年の男の従兄弟がいます。
その従兄弟が、納屋の2楷にあった
彼の部屋の窓から手招きして
僕を呼んだのです。
1楷は昔、田を耕す牛がいて、
その上が彼の部屋。
奥に上に通じるはしご段があり、
それを昇って行きました。
部屋に入ると、彼はすぐにひき戸を
閉めるように言い、部屋の奥の狭くて
暗い物入れに一緒に入るように促しました。
言うとおり、その中に入りました。
膝同士がくっつき身動きできません。
その状態で、従兄弟は僕の耳元に手をかざし、
小さな声で話し始めたのです。
「あのな、二人だけの秘密やけどな。
俺たちは、忍者の子孫かもしれんぞ」。
「突然、何を言い出すんだこいつ」
と思ったももの、従兄弟の顔は本気。
その当時、アニメ「サスケ」とか、
実写のテレビドラマ「仮面の忍者赤影」なんかが
放送されていて、忍者が大人気でした。
小学生の男の子は、誰もが忍者に憧れを
持っていたのでした。
「ほんとう? でもその証拠は?」
「それがコレや」
奥の方から出してきたのが、
短い棒状の小刀のようなものでした。
「何、これ?」
「この先に刃がついているやろ。
これな、後ろを握って投げる。そう棒手裏剣や」。
言われればそう見えなくもないものの、
彫刻刀の先を大きくしたものにも見えるし、
大工さんが使う道具のようにも思える。
「どこにあったの、それ?」
「倉庫の奥にあった道具箱の引き出しの中に。
そこにはそれだけやなしに、こんなもんも入ってた」
また取り出したのが、握ると手のひらから
少し出る位の長さで、太さはラムネの瓶くらいの巻物。
「これ、忍者が消える時に使うあの……」
「そう思うやろ。忍者の秘密の巻物や」
テレビ、映画で忍者が取り出し、口にくわえて
消える時に使われる、まさにあの巻物のようでした。
始めは小さな声でしゃべっていた従兄弟も
興奮してきたのか声が大きくなっています。
「中にはどんなことが書いてあった?」
「それが皆目、わからん。漢字みたいやけど、
カタカナみたいでもあるし。もしかしたら
暗号で書いとるのかもしれん」
「なんで忍者の子孫だとわかったの?」
「中にうちの名字が書いてあった」。
従兄弟の家の名字と、うちの名字は
違うのですが、従兄弟の家の名字が
巻物に書かれていたというのです。
さらに付け加えて、
「忍法の忍っていう字も」。
「伯父さんや伯母さんには話した?」
「親にも、兄貴や姉貴にも誰にも話していない。
みんな、秘密にしているかもしれんし」
「みんな身内で忍者の子孫なんだから、
話してもいいんじゃないの?」
「大人にならんと、わが一族の秘密は
話してくれんのじゃないかと、俺は思うとる」
「で、その秘密を知って、これからどうするの?
そして俺はどうすればいいの?」
「俺が忍者の子孫ということは、
おまえも忍者の子孫や。そやから
子どもの時から鍛えとかないといかん
と思うんよ」
「鍛える?」
「そう、堀を泳いだり、塀を登ったり、
飛び越えたりできるように、体を鍛えんといかん」
その時、下の方から、伯母さんと
父の声が聞こえてきました。
ご飯のようです。
二人とも返事をして、降りていくことに。
「この続きは、じゃーまた今度、来た時に。
それまで誰にも言うたらいかんよ」
「ラジャー」
(無線通信で使われる。「了解」という意味。
やはりその頃、はやっていた)
ご飯を食べた後は、
母屋でテレビを見て、
お風呂に入って、就寝。
次の日は朝早くたったので、従兄弟と、
忍者について話す機会はありませんでした。
それからしばらくたった、
次の休みに、祖父母の家に行きました。
忍者のことがどうなったか
知りたくてたまらなかった自分は、
家について真っ先に、納屋の従兄弟の
部屋を訪ねたのです。
「あの話、どうなった?」
「それがな。大変なことが起こったんよ」
「え?」
「うちで働いとる、Aさんな。
知っとるやろ。あの坊主頭で背の高い」
伯父さんは、祖父から引き継いだ農地、宅地などの
不動産を元手に、重機やマイクロバスを買って、
小さな土木会社を始めていました。
近所の人などを雇って、小さな町の
土木工事(公共工事)を請け負っていたのでした。
その働き手の一人がAさん。
赤銅色に焼けた皮膚、そり上げた頭、
丸太のような腕、鋼のような硬くて
分厚い胸板の180センチ以上の偉丈夫でした。
そんな体にもかかわらず、
身のこなしが素早く、柔軟。
一度見たことがあるのですが、ひょいとその場で
ジャンプして、2メートルほどの高さの足場に
飛び乗ったり、ムササビのように、屋根から
屋根にひらりと飛び移ったりすることのできる人だったのです。
「あ、知っている。あの人、なんかすごいね」
「そうやろ。俺もそう思って、
これは何かある。もしかして……
と聞いてみたんよ」
「そしたら?」
「なんとAさんの家は忍者の家系だったんやて」
「えー」
「Aさんとこのじいさんは、
石鎚山(四国にある西日本一高い山。
山岳信仰の霊山の一つ)から剣山を、
役行者(えんのぎょうじゃ、修験道の始祖)のように
飛びながら移動していたらしい」
「へー。そりゃすごい」
「小さい頃から、夜中に山の中を走り回ったり、
裸で屋根の上にずっといたり、修行とったって」
そんな話を聞いているうちに、いつの間にか
わがご先祖様が忍者だったかどうかということは、
どこかに行ってしまって、Aさんの話に終始したのでした。
洗面器に5分以上も顔をつけっぱなしにしたり、
指で太いクギをアメのように折り曲げたりなど、
われわれを驚かせたAさん。
あるとき、何かの工事が終了した打ち上げの宴会を、
叔父の家で開いた時、酒を大蛇のように飲み干し大暴れ。
その次の日、風のようにいなくなったのでした。
Aさん。
忍者の末裔だったのかなー?
今ごろ、どこでどうしているんだろうか。
忍者と聞くと、従兄弟と
Aさんのことを思い出すのでした。
コメント