押上の大黒湯という銭湯からの帰り。
タワービュー通りを錦糸町方向に向かって、
自転車を転がしながら歩いていたら、
通り沿いの掲示板に目がとまりました。
「ポケモン探しもいいけれど
自分がナニモンか探しませんか」
真宗大谷派本明寺の掲示板です。
(サイトに掲示板のフレーズを掲載しています。
残念ながら2014年10月から更新されていません)
http://www1.ttcn.ne.jp/honmyouji/
毎月1つ、
含蓄に富むフレーズが掲示されています。
こちらの前を通るときは、
いつも見ています。
このお寺の近くには錦糸公園があり、
そこはテレビでも報道されましたが、
ポケモンGOをする人が集まることで
知られている場所の一つです。
この後、北斎通りに出るまで、歩いたのですが、
夜10時すぎにもかかわらず、小学生、中学生と
思われる子どもたちに加え、20代とおぼしき
サラリーマン数人が、タワービュー通り沿いで、
スマホをのぞき込みながら、歩いていました。
みなさん、ポケモンを修行のように探し回り、
キャッチしているようです。
なので一層、掲示板の今回の
フレーズがぐっと刺さりました。
けれど一方で、そうなのかとも。
ここに書かれてある「自分がナニモンか探」す行為は、
少し前に話題となった「自分探し」とは異なるかもしれません。
が、もしそうだとしたら、余り感心しません。
「自分」って何だろうとの問いに対する
答えを求め、旅に出たり、
様々なセミナーに通ったり、
誰かにアドバイスを求めたり……。
それは果たして意味のあることなのだろうか
と考えるからです。
《「自分探し」なんてムダなこと。
「本当の自分」を探すよりも、
「本物の自信」を育てたほうがいい。》
《「自分以外の存在を意識せよ」》
と説く養老孟司さんの著書。
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小さい頃からの仏像好き。仏教系の学校に通っていたので、
仏教にも詳しく、仏教関係の本も出版している
イラストレーターのみうらじゅんさん。
彼は「自分探しの旅」ではなく、
「自分なくしの旅」との小説を書いています。
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以前、別のブログでも書きましたけれど、
東京新聞の4コマ漫画で、
「自分を探すより 仕事を探せ」との
内容の回がありました。
なんだかすごく腑に落ちました。
今の自分はあるべき自分ではない
本当の自分があるはずだ。
それを探す。
そうなのでしょうか?
「自分探し」は、「あるべき自分」ではなく、
「現実の自分」から逃避したいがための
言い訳、口実にしか思えません。
「自分探し」より、
今の自分を受け入れるところからこそ、
始まるという気がします。
もっともこのように考えられるようになったのは、
迷い多き「自己探し」の青春時代を過ぎ、
おじさんになってしまったからかもしれません。
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