日曜日に放映されていた
TBSの世界遺産では、日光東照宮を
取り上げていました。
《2017年4月23日放送 日光の社寺》
http://www.tbs.co.jp/heritage/archive/20170423/
平成の大修理が終わり、美しい陽明門などの
姿が鮮明に映し出されていました。
それを見て思い出したのは、
以前にブログにも書いた修学旅行。
友人が小学校の時に訪れた東照宮を、
再訪し、その時の写真を年賀状にして
送ってくれたのでした。
大人の修学旅行というのが、
すっかり定着しているようです。
そしてもう一つ、修学旅行にまつわる記事が、
同じ日の毎日新聞の連載《もう一度食べたい》に
出ていました。
このコーナーは、昔、食べた果物、菓子、
料理などについての投稿について、
それは何か、今でもあるかなどを調べる
という内容です。
23日は、四十数年前、小学校六年生の時の、
高知への修学旅行に際し、叔母から
お土産に頼まれたお菓子について。
食べ物は、平べったい板のような飴に、
小さな金づち形の割る道具がついている製品。
投稿した人は、それを買わず、
別の違う飴を買ってしまったとのこと。
その叔母さんは、若くして亡くなってしまい、
頼まれた飴を手渡すことができなかったことを
今も悔やんでいるそう。
その方は、お遍路で高知に行くたび、
探しているけれど見つからないとも。
あなたは、この飴、ご存じですか。
自分は知っていました。
なぜなら松山市の親戚(叔父さん、叔母さん)達が、
よく食べていたからです。
ニッキ(肉桂)味の
「松魚(かつを)つぶ」という飴です。
形・色は、まさに鰹節そっくり。
それを小さな金槌みたいな割り具を
使って割りながた、食べるのです。
記事はまさにそれだと断定し、
その情報を記しています。
製造元は「山西金陵堂」。
http://www.kinryodo.jp/
製造は月1回。700個ほどを
繕い、高知市内の旅館、ホテル、
駅や空港内の土産物店に
卸しているとのこと。
値段は1個300円。
ちなみに明治20年(1887年)に作り出した
ということですので、120年もの歴史がある
飴なんですね。
http://www.kinryodo.jp/event/index.php?id=9&mode=info&group=grp01&level=2
ところでこの手紙を
毎日新聞大阪本社に出した人は、
住所、氏名を記していませんでした。
消印も不鮮明で読み取れないので、
投稿主の故郷はどこなのかと、
推測しています。
製造元の5代目社長は、
「愛媛県の人では。昔は愛媛の小学生の
修学旅行先が高知だった、と聞きます」
と。
記事では、差出人に連絡を呼びかけています。
この飴をよく食べていたのは、
自分も考えたら、相当前。
それが今でも製造され、
販売されていることに驚きました。
また自分の修学旅行の時の
お土産についてもいろいろと思い出しました。
小学校ではないことは確かなのですが、
中学校か高校のどちらだったかは不明確。
親戚の叔父さんから、餞別をもらいました。
但しその金額には、自分のお小遣いの他に、
叔父さんが買ってきて欲しいという物の
料金が含まれていたのです。
修学旅行で浮かれ、買い食いしたり、
自分のためのお土産などを買い込みすぎ、
お金が足りなくなって、叔父さんから頼まれた
ものを買えなかったのでした。
叔父さんは少し離れたとことに住んでいたので、
修学旅行から帰ってもすぐに会えませんでした。
つぎにあったのは、お正月。
祖母の家でした。
自分は、買い物を頼まれ、
買い忘れたことさえ
忘れていたのです。
叔父さんに会って、お年玉をもらった時に、
「買ってきてくれたか?」と尋ねられ、
やっと思い出したのでした。
その時、どうごまかしたのかは
覚えていないのですが、叔父さんは
優しかったので許してくれたと記憶しています。
その後、叔父さんは、投稿主の叔母さんと同様に、
若くして病気で亡くなります。
その頃、自分は大学生。
祖母の家にも行くことはほとんど
亡くなっていたので、
叔父さんとも没交渉でした。
亡くなったと父から聞かされた時に、
思い出したのは、この修学旅行で頼まれた買い物と。
スポーツカーに乗せてもらって海水浴にいった思い出。
一つは嬉しく楽しい思い出ですが、
もう一つは自分のいい加減さを思い知らされる
思い出なので。とても心が痛みました。
長らくお墓参りにも行っていませんが、
この記事で思い出したのを機に、
墓の前で手を合わせたいですね。
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