浅丘ルリ子さんの「私の履歴書」。2回目。バンコクから終戦後、引き揚げ船。一家全員、降ろされ…。運命。

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女優の浅丘ルリ子さんが、
日本経済新聞に「私の履歴書」を、
2015年7月連載中です。

7月2日の2回目。
生まれた満州から、お父様の転勤で、
タイのバンコクに移住したとして、
バンコクでの1943年から終戦後までの
生活が描かれています。

2階建ての白い洋館に住んでいた浅丘さん一家。
《庭にはヤシやバナナの葉が茂り、色とりどりの花が
咲き乱れていた。生活は豊かで料理や掃除を手伝う
使用人も6,7人はいた。》
とあります。

祭りの晩の楽しい思い出。
けれど戦況の悪化とともに、
楽しい平和な日は長続きしません。

買っていた猿が首に縄を巻いて死ぬ
という不吉な事件が、これから起こる
受難の予兆のように発生。

ついに終戦。
一家は収容所に入れられます。
けれどもお父様は、皆をはげますため、
劇団を作り、芝居を上演。
「名月赤城山」が初舞台。
そこで「貫太郎月夜唄」を歌って拍手喝采を
浴びた経験が、女優の原点となると書かれています。

お母様は、収容所の幼稚園で
体操と遊戯を教えていたそう。

こうして全財産を失ったものの、
ご両親は、軍国主義のくびきから解かれ、
生き生きしていたたように思うと。

そして1946年夏、一家で引き揚げます。
ようやく自分たちの番になり、引き揚げ船に
乗り込もうとしたところ、係員から、
「船を降りて欲しい。要人が乗らないといけないから」
と、有無を言わせぬ命令を受けます。

せっかく帰れると思ったのに、
さぞがっかりしたことでしょう。

ところが、浅丘さん一家が乗るはずだった船は、
出航後に沈没してしまったのです。

ご一家は、
《「運命のいたずら」で命拾い》されたのでした。

《人生とはなにがどう転ぶか分からないものだ》
と書かれていますが、本当にそうですね。

引き揚げ船で乗れず、逆に助かった
といった話、良く聞きます。

それに限らず、船や電車、バスに乗り逃し、
事故に会わずに済んだ、逆に事故に遭い、
運命が変わるという話も耳にすることが多い話です。

浅丘さんの場合は、要人が乗るという横やりで、
乗れなくて、命びろいした例ですが、
そうしたひどい目にあった人たちが救われることなく、
逆にそうした人が犠牲になることもあります。

神も仏もないのか、理不尽だと言いたくなるような
ことが人生には、起こりうるんですね。

自分や、人では、どうしようもないことが、人生には起こる。
それをただただ受け入れるしかないことが起こる。

戦災、地震にあった祖母は、
自分でどうしようもない運命は
ともかくも受け入れるしかない。

命さえ生かしてくれたなら、
そこから先は、自分が
できる限りのことをするしかないと。

浅丘さんの「私の履歴書」を見て、
そんな祖母の言葉を思い出しました。

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亀の知恵

コメント

  1. nikitoki より:

    数々の恋愛遍歴を赤裸々に明かしている浅丘ルリ子さんの「私の履歴書」。28日は、石坂浩二さんとの離婚について、裏側を明かしています。異例の2人揃っての離婚記者会見、5日後の石坂浩二さんの電撃入籍。女優を続けられたのも石坂浩二さんのおかげ、自分には妻としていたらない点もあった。入籍についてもきちんと事後報告を受け、遺恨はない。むしろ感謝していると。《好きになった人なので幸せになってほしい。心からそう願っている》と締めています。見事な女っぷりと感心しました。 また産経新聞の「話の肖像画」では現在、石坂浩二さんのインタビューが掲載中です。29日の3回目は、金田一耕助シリーズ、「細雪」の話。恋愛話は出てくるんでしょうか?
    http://www.sankei.com/entertainments/news/150729/ent1507290004-n1.html